2009年11月定例会 議案質疑(11月27日)
田口かずと議員
「政治ボランティア化」について
田口かずと議員
政治の職業化が、住民の政治参画を阻んでいるのか
【田口議員】 「住民分権を確立するための市政改革ナゴヤ基本条例」、いわゆる「政治ボランティア条例」のキーワードとなっている「政治ボランティア化」について質問します。
この条例では基本理念として、「政治の職業化による集権化が進展」し、「住民の政治や行政への参画の意欲や機会を阻んでいる状況」があるので、「政治ボランティア化」と称する改革によって、「住民への分権を推進し、住民を主体とする真の住民自治の形成を図」ると規定されています。しかし、「政治の職業化」とは何を意味するのか、だれにどういう権限が「集権化」されているのか、どのように「住民の政治や行政への参画の意欲や機会を阻んでいる」のか、市長の提案理由説明を聞いても、さっぱり理解できません。
市長は、先ほどの説明で、「本来議員とは、自発的で見返りを求めないボランティア精神に基づき、自らの信条により、いわゆるパブリックサーバントとして市民に奉仕する存在であらねばならない」と述べられました。その通りであります。私たち日本共産党の議員は、住民の切実な利益の実現のために、見返りを求めず、自らの信条によって献身的に活動しているという自負を持ちつつ、努力しています。私たちは、議員を職業としていても、ボランティア精神、つまり自発性・無償性の精神にもとづいて活動しています。むしろ、議員活動に専念しているからこそ、議会開会中のみならず日常不断に地域住民と結びつき、住民の実態と声を市政に届け、政策についての調査研究にも励むことができると思っています。
そこで市長にお尋ねします。「政治の職業化」が、いわゆる職業議員の存在にあるとするならば、そのことが、どうして住民の政治や行政への参画の意欲や機会を阻んでいるのか、お答えください。
住民の多様な民意を切り捨てる定数削減
【田口議員】 この条例には、「政治ボランティア化」を実現するためと称して、議会改革が盛り込まれています。
日本共産党市議団は、議会改革は必要だと考えています。これまでも、議員報酬の削減や政務調査費の全面公開と減額を要求し、費用弁償の廃止を求めるなど、いわゆる議員特権の廃止を提案してきました。政務調査費は1円からの領収書を自主的に公開し、費用弁償も受け取りを拒否するなど、自ら実行できるものは実行してきました。議会経費の無駄づかいにメスを入れ、多様な市民の声が議会に反映できるように、さらに改革を進めなければなりません。庶民と比べて高額な議員報酬を適正な金額に削減することも当然であります。こうした議会改革については、議会が自律的に取り組むべき課題であり、わが党は、市民に開かれた公開の場で議論を尽くすことを求めているところであります。
条例に盛り込まれた議会改革の方向は重大な問題をはらんでいます。その一つが、議員定数の半減をメドとする大幅削減です。私は、議員定数の大幅削減は、この条例の基本理念に反するのではないのかという疑問を抱いています。それは、住民の多様な民意を市政に反映させる道を狭めることになるからです。仮に議員定数を半減させ場合、定数1の選挙区も出現するでしょう。市長は、小選挙区制の導入まで口にされたようですが、小選挙区制は、民意を集約する選挙制度であり、少数意見は排除されます。住民の多様な民意を切り捨てておいて、どうして条例の基本理念である「真の住民自治の形成を図」ることができるのでしょうか。
議員定数の半減は、住民の多様な民意を切り捨てることによって、「集権化」をむしろ助長するのではありませんか。住民の政治や行政への参画の意欲や機会をむしろ阻むことになるのではありませんか。市長の答弁を求めます。
市長が優位に立つ政治体制つくりだ
【田口議員】 「政治ボランティア化」に込めた市長の狙いはどこにあるのでしょう。市長は、天白区役所で開かれた「地域委員会」の説明会の場で、市長と議会の関係について、「そもそも対等ではない。議会の方が上なんです」と公言されました。しかし、憲法は、首長と議会がそれぞれ住民の直接選挙で選ばれることを定めており、首長と議会の関係は、対等平等であって、相互の干渉を排除しつつ、適当なチェック・アンド・バランスをはかることによって、双方の公正な権限行使が保障されているのです。
市長はまた、「議会で否決されて、市長は何もできない」という趣旨の発言をされていますが、河村市長のもとで開かれた2回の定例議会での議決状況をみれば、それは事実ではありません。市長の公約の一つである「市長給与の削減」条例をはじめ94%の議案が原案通り可決されており、否決された議案はたった2件にすぎません。
そこで市長にお尋ねします。「議会の方が上」「市長は何もできない」などと、憲法や地方自治法の立場にも、事実にも反する発言を繰り返しながら、「政治ボランティア化」なるものを進めようとする市長の狙いは、議会の権限を縮小し、市長が優位に立つ政治体制をつくり上げようとするところにあるのではないのですか。お答えください。
「地域委員会」構想について
「地域委員会」は福祉、市役所は天守閣作りか
【田口議員】 私は、住民が地域のことを自ら決定する仕組みというのは、住民のかかわり方と活用次第では、住民自治を発展させるものであると考えています。委員を公募も含めて選出し、十分に地域住民の要望をくみとって民主的な議論が行われ、地域の問題解決のための予算を決定する権限が地域に与えられるなら、住民本位の自治体と住みよい地域をきづく草の根の力となるでしょう。
もちろん、どの学区に住んでいても、福祉・医療や保育などの基本的な公共サービスを平等に享受できることは市民の権利ですから、名古屋市がその権利保障に責任を果たすことが大前提であります。
それでは、河村市長が構想している「地域委員会」なるものが、真に住民自治を発展させるものとなるのか、2つの角度から問いたいと思います。
第1は、「地域委員会」と行政、議会との関係という角度からです。
市長は、近著『名古屋から革命を起こす!』の中で、次のように語っておられます。
「ワシは『地域委員会』と名づけてますけど、要するに小学校か中学校の学区域ぐらいの地域をそれぞれの政府にしてしまうのだがね。ほんで、これらの地域に議会を作り、選挙でボランティア議員を選ぶ。市からは予算も与えるので、その使い道も自ら決めやと。こうなれば名古屋はアメリカ合衆国のような、つまり『ユナイテッド・ステイツ・オブ・名古屋』とでも呼ぶべき独立行政の集合体になるがや」
「地域委員会をつくってユナイテッド・ステイツ・オブ・名古屋をめざす」というのが市長のお考えのようですが、それでは、「地域委員会」という近隣政府とその集合体となった名古屋市の関係はどうなるのでしょうか。市長の政策のベースになっている『河村ビジョン』の中では、市町村は、「広域的な事務、窓口事務など、最小限の事務を担」い、介護、医療、教育など本来、市町村が責任を持って行うべき仕事は、「新しいマチ」が担うとされています。この「新しいマチ」が、市長の思い描く「地域委員会」の姿なのでしょうか。
市長は、名古屋城の天守閣を推計で約500億円もかけて木造で再建すると本気で言い出しています。そうすると、「地域委員会」と行政との関係は、「福祉は地域委員会にやってもらう。市役所は地域委員会がやれない名古屋城づくりなど大型事業をやる」ということなのですか。そうだとするならば、名古屋市は「住民の福祉の増進を図る」という地方自治体の役割を放棄することになるのではありませんか。市長の答弁を求めます。
市議会の発展的解消は憲法違反
【田口議員】 「地域委員会」と市議会との関係はどうなるのでしょうか。『河村ビジョン』の中では、市町村議会について、「事務量に見合った議会を設置するが、『マチ』の成長とともに、発展的に解消」すると書かれています。
市長は、「地域委員会」が市内全域に広がり、その活動が充実していったあかつきには、名古屋市議会も、発展的に解消するという考えを持っているのですか。そうだとするならば、地方自治体には議事機関として議会を設置すると定めている憲法の立場に真っ向から反するのではありませんか。お答えください。
地域予算の使い途――保育所の待機児童解消を例に
アパートの空き部屋で子どもを預かる施設を保育園と呼べるのか
【田口議員】 第2は、保育所の待機児童解消を例に、地域予算の使い途という角度からです。
市長は、「地域委員会」の市民説明会の場で、「待機児童の解消も地域委員会でやって」という発言をされています。この点についても、著書の中で語っておられますので、紹介したいと思います。
「たとえ保育園をつくったとしても、市町村には監督責任があることになっとる。けれども、よう考えてみれば市町村の役人が監督するよりも地域の人が見た方が効率がええに決まっとるが。保育園施設が足りない問題は、その地域で空いているアパートの部屋でも利用してこじんまりやればええ。あとは地域委員会という格好で、みんなが見ていくというシステムをつくれば、十分に園を運営していくことは可能だがね」
これは本当に暴論だと思います。児童福祉法第24条で「市町村は…児童を保育所において保育しなければならない」と定められているように、保育に欠ける子どもを保育する責任は、地方自治体である名古屋市にあります。「地域委員会でやればええ」という考えは、保育にたいする行政の責任を放棄するものです。
名古屋市には、児童福祉法の規程により市長が認可している保育所の他にも乳幼児を預かり、保育している施設があります。家庭保育室、託児所、認可外保育施設ですが、家庭保育室や託児所については基準を満たした施設を市が指定しており、認可外保育施設についてさえ、市が施設・運営・保育の基準を定め、立ち入り調査を実施するなど、名古屋市が監督責任を負っているのです。
そこで、子ども青少年局長にお尋ねします。
一つ、名古屋市が立ち入り調査などの監督責任をいっさい持たず、アパートの空き部屋で子どもを預かる施設を保育園と呼べるのでしょうか。呼べないならその理由もお聞かせください。
待機児童解消のためにアパートの空き部屋で子どもを預かる施設をつくるのか
【田口議員】 二つ、待機児童の解消のための施策として、市が監督責任をいっさい持たず、アパートの空き部屋で子どもを預かる施設をつくっていくという考えをもっていますか。
待機児童の解消のための保育施策は地域予算の対象か
【田口議員】 三つ、待機児童の解消のための保育施策は、「全市的な施策、計画、基準に沿って決定すべきもの」であり、モデル実施される「地域委員会」が決める地域予算の対象とはならないと思いますが、いかがお考えでしょうか。
全市的な施策の中に福祉・介護・医療・教育が含まれるのか。議員定数の半減は、10%削減という自らの公約に違反しないか(再質問)
【田口議員】 政治ボランティア化の議論ですが、市長の任期が長いとかの意見で条例の問題をそんなことでかたづけていいのかと思うが今回は議論はしない。議員定数削減と地域委員会について、市長は地域委員会で防犯灯などやってもらう、今でもやっているが、市議会は全市的なことをやってもらうというが、全市的な施策の中に福祉・介護・医療・教育が含まれるのか、確認したい。市長のビジョンには、介護や医療・介護は「新しいマチ」すなわち地域委員会でやるとされているので確認する。
定数削減の問題はなにより市民の参政権の問題であり、新しい議員が出れるかどうかではない。市民は1票を投じることで議員を選び、それぞれの声を市政に反映させます。議員定数の削減は、市民の参政権を狭め、市民と市政のパイプを狭めます。分権化どころか、民意の集権化であることは明らかだ。市長は、4月の市長選挙のマニフェストでは、議員定数は10%削減すると書いています。10%削減でも問題があると考えますが、今回の条例では半減をメドとする削減ですから、これはマニフェストに掲げた市長の公約に違反するのではありませんか。市長、議員定数の半減は、10%削減という自らの公約に違反するということを認めますか。端的にお答えください。
二重三重に民主主義を壊す「議会改革」案だ
【田口議員】 聞いたことに答えなさい。財政福祉委員会の正副委員長の件は、共産党は預かり知らないことだ。
市長がマニフェストで10%削減を掲げたことには根拠があります。マニフェストでは、「議会が現下の社会経済情勢を熟慮して決断した『議員報酬及び政務調査費』10%削減と同様に、定数を10%削減する」。10%削減の根拠は、議会が社会経済情勢を熟慮して決断した議員報酬と政務調査費の10%削減なんです。ところが、今回の条例の半減の根拠は、「政治ボランティア化」の実現ですから、根拠が違うのです。10%か半減かという点でも、削減の根拠という点でも、明らかに公約違反ではありませんか。マニフェストだからといって上から押し付けるやり方も、民主主義のプロセスを欠いていて問題です。しかし、公約違反を押し付けることはもっと問題です。しかも、その押し付け方が、市長が条例で義務付けるという議会の自律権を侵害しかねないやり方ですので、二重三重に民主主義を壊すものだということを申し上げておきます。
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同じ人しか出てこない、在職が長すぎる(市長)
【河村市長】
これ(議場)をみればあきらかでないですか。全員とは言わないが、過半数の議席が重要です。決まった人しかおらへんじゃないですか。本当に草の根の人がもっと選挙に出れる制度だとはとても思えません。もう一つは在職が海外に比べると長すぎる。ロスは12年です。議員とか議会は早く変わっていくものらしいですよ。議会は最高権力者ですから。