2010年11月定例会 議員提出議案への議案質問(11月30日)
《公明 提案への質問》
財政危機宣言などは市長が判断し行うべきことではないのか。
判断基準にも疑問

山口きよあき議員

名古屋市の財政状態を市民に分かりやすく周知する条例の制定について


山口議員

(田辺議員の提案説明)
財政悪化を5段階に分け、それぞれにパラメーターを設置、各段階で宣言を発表する。第1段階の財政注意宣言は赤字市債の発行額や残高が2年連続で増加したとき、第2段階の財政警戒宣言は赤字市債が3年連続で増加した場合、第3段階の財政危機的宣言は国の健全化法に定める実質公債費比率などの4指標、経常収支比率、公債費負担比率のいずれかが3年連続で悪化した場合、第4段階の財政非常事態宣言は国の4指標のいずれかが5年連続で悪化した場合、第5段階の財政破たん宣言は国の長期健全化指標を超え経営健全化計画を定めなければならなくなった場合に発表。財政は市民にはわかりにくいので端的な宣言で注意惹起を行うことが有効と考える。

市長がどう判断するかは市長の裁量の範囲ではないか

【山口議員】
財政状態をどう評価し、わかりやすく市民に知らせるかは、第一義的には市長の当然の責務です。議会は議会として、決算や予算の審議をとおして、また市民生活の状況との関連もよく見て、総合的に財政状態を判断します。そして市長の対応をチェックし、また必要な政策提案をしていくものだと私は考えます。

いまでも、地方公共団体は、財政健全化に関する法律に従って、必要な財政指標を公開しており、名古屋市もすでに自主的な財政規律を設けています。

財政状態をどう見るかは、時々の情勢により判断も変わります。また議員や会派によっても評価が一致するとは限りません。あえて条例案のような注意宣言が必要なのか、私には疑問です。そこで伺います。

条例案のような独自の判断基準でもって、法律以上に市長や財政当局の判断や行動を縛る必要があるのでしょうか。市長がどう判断するかは市長の裁量の範囲なのではありませんか。

市民に向けて発信、市民に伝えることが理念

【田辺議員】
議会が市長の予算編成権などの権限を制限することは出来ないし、すべきでない。市民に向けて発信する、市民に伝えることが理念で市長に制限をつけることではない。

財政状況をチェックする議員の判断を縛るべきではない

【山口議員】
判断基準の客観性にも疑問があります。何をもって赤字市債と称するのか、意見がわかれます。臨時財政対策債は、際限なく発行するのは問題外ですが、本来、交付税で措置すべきものの肩代わりという性格もあり、単純に赤字市債とすることに私は同意できません。

市の借金は赤字市債だけでもありません。注意宣言のレベル1・2は市債の発行や残高の金額が基準なのに、レベル3からは発行の比率が基準とされています。一つの基準とは考えられますが、客観的な唯一の指標と言いきれますか。

議会には、議員個人や会派によって様々な見解や評価基準があって当然です。

この条例で判断基準を固定化することは、議会による財政状態のチェックが画一的、機械的になり、判断が硬直化するのではありませんか。時々の状況に応じて、財政状況をチェックする議員の判断を縛るべきではないと考えますが、いかがでしょうか。

市民に発信する。議員に制限や義務づけするものではない

【田辺議員】
臨時財政対策債は国でも問題視され、国の隠れ借金ではないかという指摘もある。赤字市債の定義も今回は財政対策債と減収補てん債に絞った。専門家の意見を聞いて決めた。市民に発信する。議員に制限や義務づけするものではない。

緊縮財政、市民サービス縮小へと誘導するのは問題

【山口議員】
財政の健全運営に係る市長の責務が第4条にあります。ここには「行財政改革に着実に取組み、本市の財政運営の健全化が達成されるよう努めなければならない」とありますが、財政健全化のための方策は、すべて行財政改革によるべきなのでしょうか。

積極的な景気刺激策で税収を増やす、市民の負担増にならぬよう留意しながら新たな財源を確保する、国から必要な財源をしっかりとってくるなど、財政健全化のための方策は様々です。市の財政よりも市民の負担や暮らし向きを優先的に考えて、政策を打つべき時もあるでしょう。

財政健全化への対応方策を行財政改革だけに限定する必要はありません。市の政策を緊縮財政、市民サービス縮小へと誘導するのは問題ではないですか。

緊縮財政に引っ張っていくものではない

【田辺議員】
それは別の議論、この条例が原因で財政健全化がすべてに優先されて緊縮財政に引っ張っていくものではないと考える。

市民サービス削減の行財政改革のために、財政の厳しさを強調する恐れ

【山口議員】
市民への周知という問題にも、それぞれの価値判断が入ります。逆に価値判断抜きに、市債が増えました、減りました、と言うだけでは、問題点がどこにあるのか市民には見えません。財政悪化の原因をどう見るか、健全な財政状態、バランスのとれた財政とはどういう状態か、スパッと答えが出る問題ではありません。様々な考え方があります。

わかりやすく財政状況を知らせたい、という思いはわかりますが、条例案でかかげた指標が共通の指標足り得るか、さらに審議を尽くす必要があります。

必要なことは、財政状態の不安だけを市民に知らせるのではなく、市政全体の姿を市民に知らせる、市政の判断材料を総合的に市民に提供することです。

これまで名古屋市政では、「行革」という名目で、数々の福祉や市民サービスが削減されてきました。河村市長の下で、保育料の値上げや自動車図書館の廃止が減税財源を生み出すための「行革」のひとつとして、提案されたことはまだ記憶に新しいことです。

結局、この条例は、市民サービスを削減する行財政改革を進めるために、ことさら財政状態の厳しさを強調するだけのものになる危惧が私には拭えません。

この続きは委員会での審議に委ねることにして、質疑を終わります。

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