山口清明議員の個人質問③ 地震と津波への備えについて
2011年6月28日
山口清明 議員
丘陵地帯に危険な宅地はないのか
【山口議員】ここからは、地震と津波への備えについて仙台市の被災状況調査も踏まえて、質問します。まず2問、住宅都市局長にうかがいます。
仙台市では、丘陵部に造成された宅地も被害を受けました。とくに昭和30年~40年代に、丘を削り、谷を埋めて造成した分譲地で、地盤の崩壊や地滑り、法面のすべりや擁壁の亀裂やはらみ出しなどの被害が多数発生しました。建物=家屋の損傷は小さくとも、宅地=地盤が被害を受けたらもう住めません。
仙台市の調査では被害が生じた3663宅地中787宅地が危険と判断されました。10軒以上まとまった宅地も31カ所あります。これらの地域はいま、大雨によるがけ崩れ等の危険に怯えています。
ところが宅地の被災は建物被災に比べて、個人補償の対象になりにくく、しかも擁壁や法面は自分の家だけでなく地域全体の工事が必要なため、個人補償だけでも被害の復旧は難しいのです。
名古屋市内では、丘陵地帯で開発された宅地のなかで危険な場所はないのでしょうか。宅地・地盤の被災をどう認識しているか、お答え下さい。
できる限り速やかに調査を進め、安全性を確認したい(局長)
【住都局長】仙台市をはじめとする各地の丘陵部の造成宅地では、建物が傾くなど危険な状態となり、住めなくなっている被害事例が報告されている。
こうした造成宅地の被害は、兵庫県南部地震をはじめ過去の地震災害でも起きており、国では、宅地造成が行われた土地の安全性を確保するための制度を設けている。
本市も、東部方面の丘陵地帯を中心に宅地造成が行われ、国の制度を活用して、仙台市などでの被害状況を分析しながら、丘陵部における造成宅地の状況を把握するための調査を、今年度から開始する予定である。
今後、できる限り速やかに調査を進め、市内の丘陵地帯での造成宅地について、安全性を確認したい。
マンションへの公的援助が必要ではないか
【山口議員】マンションの被害も深刻です。仙台市内では、分譲マンションンが大きく傾き、倒壊の危険で、居住者が自室に入れないマンションがありました。
放置すれば、隣の建物も危ないので解体するしかありませんが、全てを管理組合まかせ、住民負担にしていてはそれすらできない。被災したマンションの解体や復旧には公的支援が不可欠です。
とくに階段やエレベーターなどの共有部分は公共性がある施設だと私は考えます。マンションが被災した場合、公共性がある建物として、何らかの公的援助が必要と考えますが、いかがでしょうか。
共同施設整備費補助制度や、住宅金融支援機構の融資制度などの利用を(局長)
【住都局長】被災者の住まいの再建に向けた支援は、大変重要な課題である。
マンションが被災した場合の支援制度は、建替えに対する国と自治体の共同施設整備費補助の制度や、新築・補修に対する住宅金融支援機構の融資制度などが用意されている。災害が発生した際には、これらの制度が十分に商用されるよう、関係機関と連携を図りながら、市民への情報提供や相談等に取り組む。
今回の東日本大震災を受けて、国や各自治体において取り組まれている支援制度の運用状況等について、研究したい。
地震・津波の被災体験を採集、教訓を市民に伝えよ
【山口議員】津波への備えについて市長にうかがいます。
津波は災害間隔が比較的長く、そうたびたびは襲来しない代わりに被災体験が風化しやすい災害です。
仙台市若林区には海岸から5.5㎞地点の小高い丘に「波分神社」という小さな社があります。869年の貞観地震、1611年の慶長地震で、津波がここまで来たという由来が、地元でもほとんど忘れられ、教訓が生かせなかったそうです。
仙台では数百年~千年に一度の大津波でしたが、東海地方では、津波を引き起こす南海トラフを震源とする海溝型地震が、約百年に一度という頻度で発生しています。
津波を伴った直近の地震は1944年12月7日の昭和東南海地震でした。そして1945年には直下型の三河地震、1946年には昭和南海地震と続きました。しかしこれらの地震は、第二次世界大戦中の報道管制、情報操作などでその全貌が市民には十分に知られていません。
「名古屋市史」によると「港区、南区では住宅の被害率が5割を超えた」「耐震性が極めて低かった三菱重工業名古屋航空機製作所が倒壊し動員中の女子学生64人が死亡するなど、臨海部の軍需工場で大きな被害が出た」
「名古屋港ではふ頭、護岸、港湾施設に被害があり、臨海部には液状化も見られた」との記述があり、津波は熊野灘沿岸で8m以上に達したとありますが、市内の津波については詳しい記述はありません。
この地震を経験した方はまだ大勢いらっしゃいます。市長、この直近の被災体験を採集するなどし、地震・津波の教訓を市民にしっかりと伝えませんか?
その前の津波は、江戸時代末期1854年に起きた安政地震による津波です。東海地震、南海地震がわずか一日おいて連続的に発生し、津波は房総半島から土佐の沿岸まで襲い、最大10mを越えたそうです。
「名古屋市史」では「地震発生から一時間ほどたったころに沿岸部を襲った津波は、堀川を逆流して尾頭橋あたりにまで達し、堤防を越えて堀川以西一帯に浸水した」、大地震の翌年に暴風雨や高潮が続き、「大津波は海岸部では人家の軒上まで達した」との記述があります。
約150年前のことですが、地震により堤防が壊れ、高潮被害が拡大した様子がわかります。市史には「高潮は八丈(24m)の高さにまで達し」との記述がありましたが、精査の結果、削除されたようです。つまり、この地震についても市内に到達した津波の高さについては明確な記述がありません。
市長、名古屋市が過去に経験した津波や高潮の高さはどうだったのか?どんな被害があったのか?地震・津波災害の歴史から何を学ぶか、ていねいかつ正確に市民に伝えるべきと考えますが、市長の認識をお聞かせください。
歴史を振り返るのがいちばんええ(市長)
【市長】津波については、歴史を振り返るのがいちばんええではないかということで、大阪市が相当な被害にあって、史実を調べたら2.5mの津波の被害にあっているらしい。三河の大地震でそういう記述があったけど削除、安政の記述があったが削除されたという話を聞いたので、歴史の史実を大至急検証するよう、この場で指示する。
名古屋港の津波は何mと想定して対策するのか。T.P2.5mかN.P3.9mか。電柱表示のN.P表示を臨海部の防災活動に活用すべきだ
【山口議員】市民への正確でわかりやすい情報提供は、市民の自主的な防災活動、迅速で効果的な避難行動を支える基礎となるものです。
名古屋南部は伊勢湾台風の記憶がいまだ鮮明です。この災害を教訓に、高潮防波堤がつくられました。名古屋市臨海部防災区域建築条例では臨海部の建築物について床の高さを名古屋港基準面いわゆるN.P1m以上に義務づけました。
伊勢湾台風の最高潮位は5.3mです。これは名古屋港基準面からの高さN.Pの数値です。だから防潮壁や防波堤の高さはN.P6m以上を維持するようにつくられています。基準面とは名古屋港の干潮時の水面です。
ところが市の地域防災計画には、津波の予測はT.P2.5mと書かれています。T.Pとは東京湾平均海面、満潮と干潮の平均海面からの高さです。T.P2.5mはN.P3.9mに相当します。
標記にはそれぞれ意味があるでしょうが、津波の高さと防波堤の高さで標記の基準がちがうのです。
わかりにくい。議論も混乱します。市長!少なくとも津波については名古屋港基準面の標記に統一し、市民への周知を図るべきです。
あなたは3月議会で「ほんとに2.5mでええのか、もっと全く違う状況が起こるのではないか」と答えました。
想定される3連動地震では津波は2倍になるとも言われていますが、名古屋港の津波は何mと想定して対策をたてるのですか? 標記方法とあわせて、答えてください。
住民が知りたいのは、いま住んでいる所が浸水するかどうかです。
(電柱の模型が登場)そこで私が注目したいのが臨海部防災区域建築条例です。港区全域及び南区熱田区中川区の一部、約65㎢(これは市域の約2割に相当します)には、この条例に基づき、そこが名古屋港基準面から高さ何mになるか、約1700本の電柱にそれぞれ色を塗って表示してあります。
NP1m。これより低い所に居室を建ててはいけません、という目印(模型みせる)。 NP1m108本、NP2m990本 NP3m361本。港区には977本ある。単純にいうと3.9mの津波だとここまでくるわけです
海面からどれだけの高さか、浸水の予測が誰でも身近に実感できます。
以前はあちこちで、伊勢湾台風の時はここまで水が来た、という話が聞けましたが、最近は浸水の跡を示す建物も少なくなりました。
市長は、この電柱表示はご存知でしたか?見たことありますか?この身近なN.P表示を、ハザードマップや防災教育に活用したり、また表示カ所を学校やコミセンなどにも増やすなど、臨海部の防災活動にもっと活用できると考えますが、いかがでしょうか?
市民が混乱しないような表示について取り組む(市長)
【市長】NPとTPは私も混乱してわけわからん。非常に危険なのは、NPで防波堤の高さをいうから非常に高くて立派なものと安全に思うらしい。名港管理組合で聞いたときに、直ちに指示すると言ったが、言っても全国的にTPでやっているといって進まない。意味があるのかどうかわからんが、電柱でNPでやるなら誤解のないようにせなかん。NPは名古屋港の干潮の時の数字ですから、もっと実際は高いところに来るということだから、市民が混乱しないような表示について取り組むように指示したい。
津波避難ビルはなぜ4階なのか。港区は20学区中5学区は避難ビル空白学区。学校の屋上の活用を
【山口議員】市長は先日、津波避難ビルを指定する、第一弾として港区・南区の市営施設103棟を指定すると発表しました。積極的な提案として歓迎します。
しかし、津波の際、もっとも避難が切実なのは港湾で働いている労働者です。ところが彼らが働いている臨港地区内では津波避難ビルの指定はひとつもありません。
臨港地区の津波避難ビルの指定はいつまでに行うのか?港湾労働者の避難誘導計画を地域防災計画にどう位置づけるのか?お答えください。
また指定の基準として、耐震性があり、4階建て以上の建物としていますが、なぜ4階なのか?その根拠を示してください。
実は、発表された市営施設のリストを見ると、港区では20学区のうち成章・大手・神宮寺・西福田・福春の5学区、実に四分の一の学区には指定された津波避難ビルがひとつもありません。
耐震工事を終えた学校でも3階建て校舎は指定されていません。津波の時、屋上は大事な避難場所です。ところが多くの学校で屋上は避難場所ではないのです。
子どもたちの安全を考えても、また避難ビル空白学区を解消するためにも、校舎の屋上(まず3階建校舎だけでも)を避難場所として整備すべきではありませんか。
ないところは、きめ細かくやらないかん(市長)
【市長】避難ビルは、港で働いているみなさんや、観光客、水族館に来たお客さんにもわかってもらえるような表示にしたい。
何故4階かは、わしも3階ならと思うが、国の避難ビルの基準を見直す流れがあるようなので、名古屋は伊勢湾台風の大被害がありますから、合意があるところから進めたいというのが市の方針のようだ。南陽は、本当にないから、きめ細かくやっていかなかんと思っております。
あらゆる手立てで津波対策を
【山口議員】防災の問題。市長、電柱がどこにあるか、一度見てください。建物の規制のためだけに使うのはもったいない。
「津波てんでんこ」という言葉があります。てんでばらばらに逃げないと助からない、そういうときのどこに逃げたらいいのか、住んでいるところはどういう地盤か、どこに逃げたら安全かということを市民に情報提供する、これが一番です。
安全のためには低い土地に住むな、あんなところに住むのが悪い、こんな意見もききますが、その低い土地に名古屋市はたくさん市営住宅をつくってきました。市域の2割を占める臨海部のゼロメートル地帯に、市営住宅の3割が建てられています。高齢者や障害者など災害に弱い人たちを、災害に弱い地域に集めるように住まわせてきた、これが名古屋の都市計画です。中京都構想というなら、安全な熱田台地の上に、城や役所だけでなく、大量の市営住宅をつくるように発想をかえましょう。
でも港は丘の上にはあがれません。どうしてもいまの土地でふんばって生きていくしかないのです。そのために必要な防災の手立てを講じることを強く要望しておきます。
キーワード:環境と防災、まちづくり、山口清明